夫は病気のデパートです。

ニコくん(夫)とユユ(妻)とイチ(娘)の奮闘記

入院してから。

まずは、過去の話からかなあということで、プロローグに続くお話を

書こうと思います。

いつも閲覧、スターありがとうございます。

 

10年以上前、脳外科から紹介されて、精神科を受診した後の話です。

分かりにくいので、

〇入院してその後10年以上通院した病院=A病院

セカンドオピニオンして転院した病院=B病院 とします。

 

診察してくださったのは、当時の院長先生でした。

ユユは、当時精神科といえば、

●暗い、人里離れたところにある

●人を寄せ付けない雰囲気

のイメージでした(すみません。。。)

 

それは、昔むかし、ユユの祖父がアルコール依存症

別の精神病院に入院したことがあり、

(記憶にあるけどうろ覚え、15年以上前です)

拘束具を付けられて、怖いイメージがありました。

今では薬の開発も進み、なかなか一般の人が目にする機会はないと思いますが。。。

なかなかの衝撃でした。。。

 

ですがA病院はきれいだし、普通の内科みたいな雰囲気で、

看護師さんもみんな優しく出迎えてくれました。

院長先生もとってもおしゃれさん。

黄色のネクタイが似合ってたことを覚えています 笑

 

診察に入って、私がお話をしていると、

ニコ君のスイッチが入り、

『。。俺の弟になにしたんや!!!!!!!!』

と先生につかみかかろうとしました。

 

後で聞いたところ、

先生のかけていた眼鏡が、ニコ君の弟のものに見えたらしく、

先生が弟を殺してうばったものだと思ったらしいです。

もちろん、弟君は無事で、何の関係もありません。

 

看護師さんにおさえられて、先生に落ち着かせてもらいました。

そうこうしている間にニコ君のスイッチが切れて、

普通にお話を始めます。

 

オンオフがかちっと入れ替わるんです。

その後、いろいろな話を私から聞き取り、

その場で医療保護入院が決まりました。

保護者は私でした。

 

新婚なのに、保護者。。。。

いろいろな感情が入り混じって、パニックを通り越して

どうしていいか分かりませんでした。

 

病室にニコ君が連れていかれる時、ニコ君は

『いやや!おかあさんじゃないといやや!おかあさん!!!!!!』

と小さい子供のように泣き叫びました。

 

ユユはニコ君と出会って4年と少しでしたが、

彼が泣いたのをその時初めて見ました。

 

ニコ君が、閉鎖病棟に連れていかれ、

私は看護師さんや、今後のことをお話しするケースワーカーさんの前で

泣いてしまいました。

 

1週間のうちに目まぐるしくいろいろなことがあって、

大好きな人が別人になってしまった恐怖、

でも、スイッチがオフになるといつものニコ君で。

 

私の頭の中もパニックでした。

 

その後、主治医の先生から

『まだハッキリしないけど、

統合失調感情障害

という病名にしておくね』

 

と言われました。

 

ja.wikipedia.org

 

今では総称して

統合失調症スペクトラム障害

と呼ぶみたいです。

 

10年以上経った今でも、はっきりとした病名には至っていません。

その後、また詳しく書くのですが、

小児期にてんかんを持っていたこともあり、

てんかんのような症状が発現したこともあり、

てんかん性の精神障害だったのではないかという話も出てきました。

 

見えない部分なので、はっきりと診断させるにはまだまだ時間がかかるのかもしれません。

 

 

その後、ユユとニコ君は

三か月にわたって離れ離れになります。

 

次回、また続きを書きます。

仕事をしながらの更新なので不定期ですみません。

これからもよろしくお願いします。

 

 

今の症状とか。

こんにちは、閲覧ありがとうございます。

プロローグが終わって、一息つけたらなと思います。

慣れてきたらユユの趣味でもある写真を載せたりしたいです( *´艸`)

 

プロローグから10年以上経過した今、

今回は今のニコ君について書きたいと思います。

 

〇統合失調の症状はあるの??

→幻覚や妄想と言った陽性症状はまったくありません。

別の日記にまた書こうと思うのですが、

ニコ君は

発症して1ヶ月後には ほぼ元通りになっていました。

 

これは今でも、本当に統合失調だったのか、

その他の病気なのか、はっきりはよく分かっていません。

当時のユユの日記にも、

 

本当にこれは統合失調なの?ネットや本に書かれていることと違うことが多々ある。

 

と書かれていました。

 

ですが、なんせ目に見えない病気のため、枠にはめて診断するしかできないのでしょう。

 

陰性症状は、元からあまりなかったのですが、

疲れやすい、頭痛やお腹の痛み、軽度知能障がい?のようなものが

残りました。

日常生活には基本、一緒に暮らしている分にはないのですが、

一人暮らしは難しいのかな、というくらいです。

レンジでチンしたり、ケトルをあたためるくらいは大丈夫。

掃除機をかけれるけど、すみっこのホコリまではわからないので、基本は空いてるスペースをまるーく掃除機してくれます。

お片付け、料理、金銭管理は苦手。

洗濯物を干してたたむことは基本お願いしてます。

シワになってるのはご愛敬です。

イチが学校に遅れそうになっていても、お手伝いはできません。

でも横で応援はしてくれます。

 

 

これも、発症して1ヶ月で症状は消失し、

その後5年くらいまでは元通りといえたのですが、

ここ5年くらいは、ゆっくり、それこそ認知症みたいな感じで

ゆっくりゆっくりいろいろなことが難しくなっている印象はあります。

 

それが病気のせいなのか、薬のせいなのかは分かりません。

つい先月に新しい病院に代わってから、減薬されたので、また現状が変わるかもしれません。

ゆっくり見守っていければと思います。

 

 

〇お仕事はしてるの?

→今は実は休職中です。

フルタイムの正社員で働いてはいましたが、多い時は月の半分が出社できないような状態でした。

そんななのでクビになること数回、何社も転職を繰り返し、

今の会社はやっと3年いるのですが、求職は今の会社に入ってからすでに3回目です。

ユユがその分仕事も家事も育児も頑張っております。

ということで、このブログは少し息抜きも入っております。笑

たくさんたくさん喧嘩もしましたが、なんだかんだのんびり仲良くやっております(^^)/

 

 

障がい者手帳、障がい者年金について

→10年以上経って、ようやく今申請中です。

また詳しく書こうと思いますが、

今までの病院でも話をしたことがあるのですが、

 

「復職や転職で不利になる」

「病的なものではなく性格だから出ないね」

 

と言われていて、申請すら出していませんでした。

(薬を飲んでいて、仕事も行けずに寝込んだりしているのに、性格です、で済まされておりました)

じゃあその出してる薬はなんのためなの?っていう話ですよね今思えば。。。

 

今の病院に転院して、新しい先生から

『ニコ君さんは、もらうべき人です』と言ってもらえ、

同じ精神科や心療内科の分野でも、先生によって全く違うんだなと思いました。。

 

※今までの先生がいいか悪いか、とかではなく

相性って本当に大事です!!!

 

 

〇ニコ君の性格について

→発症前:のんびりゆったりさん。

お友達は多くはないけど、一人一人を大事にするひと。

ユユのことが大好き。

スポーツも好きで、あまり家にいないくらい活発。

 

発症後:のんびりゆったりはそのまま、さらにできることが減った為、

ゆーーーったりさんになりました。笑

お出かけしまくってた当時とは違い、家でのんびりニュースを見たり、情報番組を見るのが好き。お昼寝もたっぷり。

ユユとイチの事が大好き。

カラオケが大好きでよく連れてって欲しいと言われます笑

 

 

ユユもイチもそんなのんびり優しいニコ君のことが大好き。

いつも私たちとは違った視点で、たくさん笑ったりほっこりさせてくれます。

 

 

いつもスターや閲覧等ありがとうございます。

 

 

プロローグというか。3

今回でプロローグ終わる予定です。

思ったより多くなってしまいました。。。(;'∀')

 

※続きますが、体験者や患者さんご本人にとってショッキングな話が出てきます。

自己責任にて閲覧お願い致します。

 

脳外科へ検査入院して、次の日。

いろいろな入院道具を持って朝一に病院に行ったユユ。

ニコ君の病室に行ったら、

 

目をギラギラさせて、ナースコールをずっと握っているニコ君がいました。

 

不思議に思っていたら、いきなり手首をガッとつかまれて、

『隣のベットにユユの同級生が寝ている』

(実際は全く関係のないおじいさんです)

『検温に来た看護師さんがユユの友達だ』

(もちろん違います)

と言いました。

 

どちらも害のない存在のはずなのに、ニコ君はガタガタ震えておびえていました。

 

そして、ナースコールを頻繁に押しては、看護師さんを呼びます。

 

そこに主治医の先生が来て、反射の反応を見るハンマーみたいな器具を取り出しました。

よく覚えていないのですが、脛に軽くあてて、膝が伸びるか?見る器具だったと思います。

それを取り出した瞬間、ニコ君は

 

『殺される!!!!!!助けて!!!!!!!』

と叫んで、またナースコールを呼びました。

 

ここで、私は初めて、おかしい、脳外科じゃないかもしれない、と思いました。

 

その後、MRIを撮りに行ったニコ君。

点滴をつけて部屋に入って行ったあと、男の看護師さんや、技士さんがバタバタ慌てて何人もMRI室に入って行きました。

 

どうやら中で暴れたらしく、点滴を引っこ抜き、押さえつけられたようです。

後からニコ君に聞いた話では、

 

MRIの中に無数の刃が見えて、切り刻まれるイメージが頭に流れてきたとのこと。

 

それは暴れるし怖いよね。。。(´;ω;`)

 

そうして、病室に戻ってから、

精神科へ紹介状を書いてもらうように主治医の先生とお話をしました。

 

その後の手続きを待っている間も、

 

『窓際に立っちゃだめ!スナイパーがこっちを狙ってるから打たれる』

『病院を出るまで一言もしゃべっちゃだめだよ。喋ったら殺される。』

 

と、意味不明の事をずっと言っていました。

その時のニコ君は、私の手首や肩をつかむ力も強くて、言葉も方言ではなくて、声も低くて、何かが乗り移ったようでした。

 

何より心配だったのは、いつもたくさん食べるニコ君が、2日前から何も口にしていなかったことでした。

食欲もなく、食べるということを忘れていたみたいです。

 

そうして、紹介してもらった精神科へたどり着きます。

この精神科で、10年以上今後お世話になることになります。

 

また別の日記で書き進めようと思います。

 

※このブログは、当時の日記を掘り起こし、

プロローグはほぼノンフィクションで書いております。

当時20代前半の夫婦で、新婚でした。

常識も何もなく、当たり前のことがずれている可能性もありますが、

どうかあたたかい目で読んでいただけますようお願い致します。

 

プロローグというか。2

発症時の続きです。

※体験したことある人にとっては少しショッキングな内容になるかもしれません。

自己責任での閲覧をお願い致します。

 

眠りについて、夜中の三時ごろ。

いきなりニコ君がガタガタ震え始めました。

「寒いの?」

と聞いても、『わからない、止められない』と。

 

時間は5分もなかったと思いますが、動転した私は救急車を呼びました。

※救急車の利用については色々問題や賛否両論があると思いますが、

10年以上前、とっさの判断での出来事ですのでご容赦ください。

余談ですが、ユユはこのニコ君のけいれんの1年ほど前に

実祖母の救急車を呼んだことがあります。

その時は残念ながら助かりませんでした。

なので本当に本当に怖かったです。

 

救急車はすぐに来てくれて、その時にはけいれんも収まっていたため、

自分で救急車に乗り込むニコくん。

私も付き添いで乗ろうかと思ったのですが、

救急隊員の方が、【朝方で電車も何も動いていないため、奥さんが帰れなくなります。車で着いてきてください】

と仰って下さったので、車で着いていきました。

雪がちらつき、道路が凍るなか、震える手で運転したことを覚えています。

・・・今思うととっても危ないですね(;'∀')

 

搬送された病院は近所の総合病院ですが、

研修医さんしかいなかったのと、搬送されたころにはけいれんも収まっていたため、

熱をはかってインフルエンザの検査だけして帰りました。

もちろん熱はなく、検査も陰性でした。

 

帰ってきて、4時間くらい寝て、

忘れもしない2月8日の朝8時頃。

起きたニコ君は、ニコ君ではなくなっていました。

 

『実家が爆破されて家族みんなが死んだ』

『弟が人を殴って警察に逮捕された』

『俺は幽霊にとりつかれている』

『旅行に行ったとき、新幹線の隣に座っていたのは有名な芸人だった』

など次々とおかしなことを言い始めました。

 

これはおかしいぞと思った私は、ネットで今見てくれる病院を検索し、

そこで脳外科を紹介してもらって、すぐにニコ君を連れて行きました。

 

脳外科でCTとレントゲン、血液検査と髄液の検査をしてもらい、そのまま検査入院となりました。

診察室で診てもらっている間も、車いすに座ったニコ君は魂が抜けたように

口をポカンと空けて、時に白目をむいて、意識があるのかないのか

分からない状況でした。

髄液の検査も痛いはずなのに、眉ひとつ動かしませんでした。

 

その時まで私は、脳がやられたと、血管や神経に何かがあったんではないかと、

とにかく目の前のことに必死でした。

ニコ君の両親に来てもらうように電話しましたが

『ユユちゃんがついてるから大丈夫でしょ』と言われ、

私の両親が心配して来てくれました。

 

その日は、実家に帰って眠ることにしました。

ニコ君との思い出がたくさんつまった部屋で、一人で寝るのは耐えられそうになかったからです。

 

長いですが、3に続きます。。。

 

プロローグというか。1

昔の事を書きます。

10年以上前、ユユとニコ君が新婚までさかのぼります。

 

〇〇年2月、ユユとニコ君が結婚4ヵ月になる冬でした。

一か月前には遊園地に行ったり、何の前兆もなく、仕事もフルタイムで夜勤までこなし、職場の先輩や後輩と遊びにいったり、なんのこともない日常を過ごしていました。

 

●●発症する3日前

仕事から帰ってきたニコ君が、ご飯を食べながら

 

『会社の人からうわさをされている。』

『ユユが死んでしまうんではないか』 と言い出しました。

 

私もフルタイムで仕事をして、家事をしての生活だったので、

 

・・・何を言ってるんだろう、何か嫌な事言われたのかな・・・

 

と、軽く考えていて、その時はその後普通に過ごしたので、

あまり気にしないでいました。

 

次の日、朝起きて、ニコ君はまったく寝た気がしないと出勤しました。

いつもとっても寝ることが大好きで、隙あらば寝てるようなニコ君。

体調不良かなと心配はしながら、見送りました。

 

その日の夜、帰ってきてからも、食欲がないのか、なかなか進みません。

その間にも

『職場の人が、俺とユユが別れないとユユが殺されると言ってくる』

『結婚式に来ていた子供は俺の子供だ』(ニコ君は初婚でもちろんその時点で子供はいません。そして結婚式には子供を呼んでいませんでした)

 

など、突拍子もなく奇想天外な事をぶつぶつ言い続けていました。

そしてその日の夜も、眠れず。

 

次の日も仕事には行ったのですが、帰ってくるなり昨日とおなじで、

色々なありえないことをぶつぶつ呟き、

いつもは30分で食べ終わる夕食も、この日は2時間かかりました。

 

このあたりからようやく私もおかしいなと思うようになりました。

この時点でユユは20代前半。

精神の病気の知識などまったくなく、むしろ食事が片付かないことにイライラさえしていました。

 

その日の夜、眠りにつき、

そして、発症します。

いつからが発症なのか、はっきりはしません。

つぶやき始めた日なのか、それとももっと前から何かが聞こえたりしていたのか。

当時の記憶は、本人も夢の中にいたみたいに曖昧だそうで、思い出せないこともたくさんあるそうです。

 

長くなりますので、2 に続きます。。。。。

お付き合いいただき、ありがとうございます。

 

 

はじめての。

みなさま、初めまして。

兼業主婦の ユユ と申します。

以前から日記や文章を書くのが好きで、ほそぼそとノートに書いておりました。

 

今回、視野を広げたりお友達ができたらいいなという思いから、

〇年ぶりにブログをはじめます。

 

ゆるりゆるりお付き合いいただければと思います。

 

●まずは自己紹介●

 

ユユ(妻)

田舎うまれ田舎育ち。

朝から猿と猪が出る環境でのんびりゆったりと育ちました。

子供のころは土手を駆け回り、崖を上り、川を渡りと野生児女子でした。

動物が好きで、小さいころから 犬、鳥、カメ、金魚、とかげ、と色々飼っておりました。

今は白文鳥のもちちゃんを家族に迎え、家族3人+1羽で生活しております。

兼業主婦ですが、大黒柱になる決心をする。

好きなことは食べること、寝ること、服、映画、カメラ

 

ニコくん(夫)

ユユと同い年。うまれつき5000人に1人の難病を抱えるも術後良好で元気に子供時代を過ごす。

のんびり屋さんで素直、おだやかな性格。

ユユとの出会いはフットサルイベント。

4年付き合って結婚しました。

結婚してすぐ統合失調症を発症、一旦は寛解するも、その他メンタルや神経疾患に悩まされる。

好きなことはゲーム、食べること、お散歩

 

イチ(娘)

ユユとニコくんの一人娘。

まだ小学校低学年ながら中身は女子高生。

TIKTOKとダンスがとっても大好き。

のんびり屋さんだが頑固な一面も。

甘えん嬢でお父さんとお母さんが大好き。

ペットのもちにライバル心を抱いている。

 

もち(ペット)

白文鳥の女の子。

イチの足の甲の上が大好き。

自分はイチのお姉ちゃんだと思っている気がする。

水浴びが大好き。

 

 

以上のメンバー、

たまにユユの実家のじいじばあば、ニコくんの実家のじいじばあばも出てくる予定です。

まだ何もわかっておりませんが、よろしくお願いします。

すこしずつ内容もカスタムしていけたらいいな。。。